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【コラム】無名のミュージシャンはこうして消えて行く。承認欲求に振り回されてはいけない。

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  • Category: 音楽

 

僕が高校生の頃、世間ではちょっとした音楽ブームが巻き起こっていた。

日本でランクインされる楽曲達はいとも簡単にミリオンセラーを叩き出し、多くのミュージシャンが音楽活動に熱をあげていたような空気が、そのときの日本にはあったように思う。

それと同時期に、僕はクラスの同級生の影響でエレキギターを始めた。
引っ込み思案だった自分の性格がギターを黙々と練習するという行為にマッチしていたのか、そこそこ弾けるまでに上達した。

そのまま勢いで音楽学校に入学し、プロのミュージシャンを目指すことになったのだが、僕の所属していた人気のあったバンドは専門学校の卒業と同時に解散。
その当時付き合っていた女の子からもあっけなくポイ捨てされ、心も身体もズタズタな状態だったと記憶している。
そんな状況でも何とか自分でバンドを立ち上げたり、他のバンドグループに参加したり、ということを繰り返していたが、結局どれも上手くいかなかった。

 

その後、舞台俳優として活動していたけれど、芸能界の世界が自分と噛み合わず、プロ入り2・3年目くらいで事務所を辞めてしまった。俳優活動をするにあたって目標にしていた課題を達成してしまい、燃え尽き症候群のような状態になってしまったのだと思う。

 

 

 

 

それから数年の月日が経つが、心と身体に余裕が出来はじめ、ようやく「自分にとって、音楽(ギター)とは何だったのか?」ということに思いを巡らせることができるようになった。ギター、音楽に対して、冷静な目線で向き合える余裕ができたのかもしれない。

音楽活動をしていた当時は、自分(達)がいかにして成功するか、成り上がるか、金持ちになるか、売れるか…こんなことばかり考えていたと思う。「音楽を愛している」みたいな、純粋な気持ちで音楽に取り組んでいたのか、今思うと疑問である。

 

自身の名誉と金に目が眩んで活動していた頃から、約10年の月日がたった。僕は33歳になった。今年で34歳になる。
僕の中で、音楽やギターは、本当にただの「名声を得るための道具」だったのだろうか?
あの時はそうだったとしても、現在の僕は、ギターとどう向き合っていけばいいのだろうか?音楽とどう向き合っていけばいいのだろうか?

 

夢が叶わなかった大人達は、その後どうやって生きていけばいいのだろうか?

 

 

大人になっていくにつれて、年齢の存在が自分のやりたいことを邪魔してくるようになっていく。
例えば、新しい趣味を始めようとしても「今さら取り組んでもなぁ…」といった具合に、どうしても「もうそんなことに情熱を注ぐ年齢でもないだろう。極力無駄なことせずに生きていこう」みたいな感じで、冒険心の芽を自分で摘んでしまうことが多くなってきた。

最近はカラオケで歌の練習(というか趣味)をしているけれども、歌いながら「こんなものに熱中したところで、仕事に繋がるわけでもない。金が入るわけでもないし、才能が開花するわけでもないんだよな…俺、何やってんだろ…」という、自分に対しての冷ややかな目線を送ってしまい、楽しめるものも楽しめなくなっている。

 

趣味を純粋に楽しめなくなっている自分。たぶんそこには”承認欲求”の罠が潜んでいる。

評価されない行動をしても無意味。そんな意識がSNS全盛期の現代を生きる人々に存在しているんじゃないだろうか。

バスフィッシングにしても同じで、「いくら魚を釣ったところで、それが一体何になるんだろうか。自分より上手い人なんて腐るほどいるじゃないか。自分で納得できればそれで十分っていうけど、いつまで経っても納得できないじゃないか」みたいな意識が働く。

 

・上には上がいる。
・いくら努力をしたところで成功するわけではない。
・承認欲求に振り回されているせいで、何をやるにしても「他人の評価」がつかないと無意味…な思考になってしまっている。

人生を歩んでいく過程で多くの失敗を経験して心が折れてしまっている人は、こんな感じで自尊心を失っていく。そうならないためにも、自分をあまり責めすぎずに労ってあげてほしい。

 

大人になって、物事に対して情熱が注げなくなったり、冒険心が薄れていくのは、僕たち大人が「評価性の社会」に揉まれてしまっているからなのではないか。
上司からの評価、部下からの期待、妻からの目線、子供に対しての意地。こういう評価性の社会に洗脳されてしまうと、「評価されない行為をしたって無意味」みたいな思考になっていく可能性が高い。

 

________

 

そういえば、僕がエレキギターにハマったのは、周囲がギターを弾く僕のことを「上手いね、すごいね」なんて風に評価してくれたからだった。
結局のところ僕は、ギターが自分の評価を上げてくれる存在だったから練習していたのではないか?
でもその当時は間違いなく僕はギターも音楽も愛していたし、「評価されること」だけでギターを弾いていたわけではななかったと思う。

 

じゃあ、なぜ今現在、33歳になった僕はギターをほとんど弾かなくなったのか?
音楽にも全く関心を示さなくなったのか?
それはやはり、「音楽(ギター)をやっていたところで、自分は何も変わらない」ということがわかっているからだと思う。
僕の中で音楽やギターは既に終わったこと(失敗したこと)になってしまっていて、これ以上無理して活動を続けていても続けられないし、やりきれない。

 

だからこそ、いつまでも過去の栄光に浸っていないで、いっそのことそんなものは捨ててしまって、また新たなチャレンジをしていけばいいんじゃないか。今はそう思っている。僕の中で音楽は、もう終わったことになっているのかもしれない。

ギターを弾くのがまだ少し楽しいとは思っているけれど…。その気持ちだけは大事にしてあげようと思う。

 

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このブログは残しておきますので、今後もご活用ください。



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