関東の激戦区でバス釣りをしていて、まず間違いなく乗り越えるべき事柄があります。
それは
です。
何時間もかけて有名なフィールドに足を運んで、何時間もかけて頑張って釣りをして、労力に見合った結果が出ないとマジで落ち込みます\( ˆoˆ )/
SNSやブログとか見てると、なんだかみんな自分より釣ってるし、「自分ってマジで下手くそだな」と凹むことも多々あります。「デコった人がSNSであまり見られないのは、デコったことを隠しているからだ!そりゃ釣れたらアップするから、必然的にそういう情報しか目に入らないだけだ!」…と、自分の未熟さをひた隠しにする切なさよ…good night…。
まぁこんな感じで個人的な想いは様々なのですが、バスフィッシングの「デコ」が最近ではなぜかあまり怖くなくなってきています(「怖くない」というより、「あまり気にしない」という言い方のほうが正確かもしれません)。
とにかく自分にとって新しいことをしたいし、新しい課題を見つけて取り組みたい。この気持ちを昇華するには、どうしてもデコる覚悟が必要になってくることに気づきました。
今まではボウズを恐れて情報をたくさん入手して万全に備えたり、そのときのアツい釣り方を模倣してみたりと、必死になっていたように思います(今でも影響されたりしますが…)。
ですが、ある時から「デコっても平気っぽい」と思えるようになりました。それはなぜなのか?
ここ最近、自分よりも遥かに上手いアングラーと触れ合う機会が増えました。
たくさんの機材を積んで、多くの知識・技術を持ち合わせている上級アングラー達。
彼らと関わることで、「どれだけ上手いアングラーでも、デコるときはデコる」ということを学ばされたのです。
車で数時間かけて遠出して、ボートと遊漁料払って、ガソリン代とご飯代かけて、重い機材運んで…というような多大な労力とコストをかけたにも関わらず、1匹も釣れない。
一体なぜ、こんな苦労をしなきゃならないのだろう。以前はそう思っていました。
「これだけ苦労したんだから、報われないのはおかしい!」というように。
でも、そういった苦労は上級アングラーも同じだったのです。まぁ当たり前なんですがw( ͡° ͜ʖ ͡°)
どれだけ上手い人だって、がんばって機材を運び、大汗かいてセッティングして、たくさんのタックルと知識・経験を駆使して結果を出す。また、それだけの労力を注いでいるにも関わらず、釣れないときだってある。
デコることは別に恥ずかしいことじゃない。
むしろデコがないと、新しい課題を見つけることもできないまま、成長しないまま。
上級アングラーが必死に機材を運んで頑張っていながらも、普通にデコっている光景を目の当たりにした僕は、「あ、頑張っててもデコるときはデコるんだな。それって普通なんだな」と思えるようになりました。
以前、「バスボートを所持していたこともありますが、1匹も釣れないとかは普通にありますよ」と、上級アングラーが言っていました。彼は笑っていました。
釣れないとか、デコったとか、しんどいことがあったとか、そういう辛い経験はいつの日か笑い話になるわけですね。
「別にデコってもいいか…何か学びになれば、楽しければ、それでもいいかな」
こう思えるようになってきて、少しずつデコに対する解釈が変わってきているように感じます( ´ ▽ ` )
以前までは「自分の好きな釣りを押し付ける」みたいなスタイルをとっていました。
今も完全になくなったわけではないのですが、前よりかは柔軟になってきたように思います。
以前の「押し付ける釣り」は、もうほとんど博打みたいな方法で釣れていたんですね。
ソレっぽいエリアで好きな釣りをして、運がよければ釣れる。悪ければ釣れない。そういうギャンブルっぽい釣りをして満足していた。
ですがここ最近、そういう釣りで納得できなくなってきていました。それはなぜかというと、「狙って釣っていない」からです。
そういう僕の釣りを見た知り合いのアングラーが、僕の釣りのことを「交通事故的な釣り」と揶揄していました。その時はカチンときましたが、よく考えてみると「まぁ間違っていないよな」と考えさせられました。
その時から「じゃあ、自分が納得できる釣りって何なのだろう」と考えるようになりました。
自分を満足させられる釣りって、一体どんなものなのだろうか。交通事故的ではなく、しっかりとした必然性があって、それでいて実力で釣る釣りってどんなものなんだろうか、と。
いろいろ考えた結果、「狙って釣る」ということが、僕自身を満足させられるファクターであるとわかりました。
何となく投げて、なんかヤル気のある魚がいたから食った!みたいなギャンブル的釣りではなく、「○○な状況だから、○○な状態のバスに、こういう釣りで狙う」というような、自分の中で必然性のある釣りをしたかった。
こういったことに気づかせてくれたのも、多くのアングラーと関わり始めたからです。
自分の中で、ちゃんとした”理由”みたいなものがあって、それに準じた釣りをしていけばいいじゃないか。
釣れようが釣れなかろうが、一応はそれで「自分の釣り」をやり通せたということにしよう。
あまり結果にこだわらず、その日その瞬間、自分にやれることを精一杯やりきればいいじゃないか。
とりあえずは、それで満足としようじゃないか。
釣りに対する解釈がこんな感じに変化していくと、なぜだかボウズがそこまで怖くなくなってきました。
新しい実験や課題を試そうというときにも”デコ”がつきもの。
例えば「ビッグベイトを学びたい!」と思ったときに、丸一日ビッグベイトを投げてみて、何かを学ぼうとする。
こういった実験や新たな体験を得ようとすると、デコることが最早当たり前になるわけです。
デコる覚悟がないと、新しいことを試すことができないとわかったのも大きいです。
「デコる覚悟がないと、新しいこととか実験が全然できないくない?」みたいな。
もし自分が今いる場所から一歩でも進みたいのであれば、デコを恐れずに新しいことをガンガン試していけ!
これも知り合いの実験好き上級アングラーを見ていて学んだことです。
どんどん新しいことをやって、デコりながら実験して成長していく。
これを意識してからは、自分の釣りが変化していくと同時に、マンネリ気味だった釣りが刺激的になってきました。
デコ上等。
デコ回避とかデコらないとかの前に、とにかく自分にとって新しい課題に取り組んでいこうぜ!
こういったマインドになってきてから、「デコは悪いことじゃない」と思うようになってきました。
デコが怖いのは、「自分が人より優れているか、劣っているか」に意識が向かいすぎていたからでした。
SNSとかを見すぎていると、自然と誰かと自分を比較していたりする。
自分が本当に意識するべきことは「他者との比較」ではなく、「自分の成長、課題」だったことに気づいてから、ボウズに対する意識が薄れていったように思います。
デコを恐れてたら実験なんてできない。
失敗をおそれてたら、自分は今の場所に止まったまま。
自分に無理のない範囲でいいから、新しいこと・新しい課題に取り組んでいく。
そうすると、マインドも変わるし、自分の停滞していた釣りも変わってきました。
あまり結果に固執せず、自由な心で取り組んでいきたいものです(・∀・)
お知らせ☆ブログを引っ越しました。
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