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人はみな、孤独。孤独はネガティブなものではない。

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”自分”という人間が、どんなことを考えて、どんなことを感じているのか、そういう所謂「自分語り」をしようと思う。このブログではこういう謎めいたことを話すことを避けていたけれど、やっぱりたまには思ったことや感じたことを素直に話したい。ブログはもっと自由でいいんじゃないのか。

 

 

 

人はみな、孤独

 

最近、感じたことがある。それは、「人は誰しもが孤独な生き物である」ということ。なぜこんなことを深々と考え(感じて)しまったのかというと、それは”他者との喧嘩”を連続して経験しているからだ。

 

今までは一時の感情に身を任せて、思ったことを言うだけの自己満足的な喧嘩をするばかりだったけれど、ここ最近は喧嘩後に反省をするようになった。同じことを繰り返さないために。

 

「なぜ、相手は自分の気持ちを理解してくれないのか?」
「なんで相手との間に、分かり合えない溝のようなものを感じるのか?」

 

このようなことを考えていくと、いくつかのことが思い浮かんだ。

 

・他者は、他者の”表面的な部分”しか見ることができない。
家族でさえ相手の心の100%が理解できるわけでもないというのに、ましてや血の繋がっていない人たちと完璧にわかり合うことなどできないのではないか。

 

・「結果ではなく、過程を見てほしい」というけれど、他者の人格や観念なんて、表面上でしか判断できないのではないか。
長い時間をかけて語り合えば「あぁ、君ってそういう人生を歩んできたんだね」と理解してもらえるかもしれないが、全人類にそんな語り合いが通用するわけではない。僕、外国語は話せないし。

・自分や相手の心が完全に理解できないとするなら、それは結局のところ「人はみな、孤独」ということになるんじゃないか。

 

【孤独】

 

それは、僕が幼いころから恐れていたものだ。
みんなに置いていかれたくなかったり、なんだか生き方に焦りを感じたり、仲良くなったとしても、いずれ裏切られる。
今までに結構な人たちに裏切られるような経験をしてきたせいもあるかもしれないけれど、何となく僕は幼いころから自分が孤独になることを人一倍恐れていたような気がする。

 

 

 

太宰の孤独に比べ

 

話が飛ぶが、最近、太宰治の「人間失格」を読んでいる。
主人公は幼いころから孤独感をごまかすために”道化”を演じているのだが、そういう主人公と自分をリンクしてしまう。この本を読んでいて、まさに僕は昔から、「嫌われたくないため、孤独になりたくないため、エンターティナーを演じている」と思った。

 

薄々感じていた。
もう、そういう別人格を作り上げて生きていくのは限界だ、と感じ始めている。
何よりも、身体がもう限界を迎えているような気がしてしまい、精神的にかなり苦しい。
けれど、孤独や不安を誤魔化すために、無意識に道化を演じてしまう自分がいる。こういう葛藤が自分の首を絞めているとは理解しているが、幼い頃から身についた”癖”というものは中々取れるもんでもないようだ。

 

 

太宰の孤独に比べたら僕の孤独なんて大したことないのかもしれない。けれど、やっぱり「孤独」というのは怖いし、ひとりぼっちになんてなりたくない。
だが、歳を重ねていくと、そうも言っていられない状況になってきた。

 

 

 

 

決別する覚悟

 

友人が結婚したり、仕事で忙しくなって連絡を取らなくなったり。
そういう人たちに何だか引け目や劣等感を感じて、彼らから距離を置くようになったり。
また、新しいコミュニティに入っていくのも精神的に疲れを感じてしまったり。

家族と今までのようにコミュニケーションが取れなくなっていったり。
親族が亡くなっていき、家庭内の雰囲気が悪化していったり。

こういうことが度重なっていくと、人は自然と「独り」になっていくことを、身を持って感じている。
歳を重ねていくと、「もう、昔のようにはいかない」とつくづく思う。

 

もう昔のように、たくさんの友達と連絡を取り合って遊んだり、飲み会でバカ騒ぎすることもない。
後先のことを考えず、むやみに衝動買いすることもない。
家族みんなで出かけたり食事をしたり、楽しく旅行をすることなんてない。

 

もう僕は、「昔の僕」とサヨナラをしなければならない
いつまでも懐古主義で居てはダメだ。もう、あの時代は二度と戻ってこないのだ。

 

そして、過去のことや未来のことを悔やんだり不安に思っているばかりではダメだ。
今を大切にしなければならない。今、この一瞬を理解して、感じ、心を震わせ続けなければならない。

「将来が不安だから」だとか、そういうことは無視しなければならない。そんなものは単なるエゴが奏でる心のネガティブな音階でしかない。

 

 

人は完璧に理解し合えるわけではない。その部分だけを見れば「この世は何と寂しい世界だろう」と悲観することになる。
だが、自分が、人間が生まれながらにして孤独であるということを知ってしまえば、そう不安視する必要もない。

いつかは必ず「独り」になるときがくる。
家族が死に、友人も死に、そして最後にはこの世から自分という人間が離れていく時も来る。

 

今一度、「孤独」ということについて見直してみるのはどうだろうか。
いつかは自分が死ぬ、ということを考え直す時間を持ってみることが大切だ、と思っている。

 

 

孤独はいけないものだ
孤独になってはいけない
孤独=敗者

こんなもの、全て嘘っぱちだ。

 

 

 

 

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このブログは残しておきますので、今後もご活用ください。



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