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コンプレックスとの向き合い方。”誰か”より優れている必要はない。

 

もうさ、優劣とか勝負とか、そんなものは止めにしないか。

 

 

ネットの普及に伴い、世界中の人々の存在が身近になった。
地球の真裏に住んでいる見ず知らずの人とも、ネットを通せば簡単に繋がる世界ですよ。怖いですね。ロマンもあるけど。

ネットの普及は人々に幸福をもたらしたが、それと同時に、今まで自分の中にあった”幻想”も無になってしまった感じ。

 

ネットの登場によって、自分より優れた人間や、自分の技術やレベルをいとも簡単に打ち負かす人間の存在を知れるようになった。
ゲームでどれだけハイスコアを出そうと、上には上がいる。
収入をどれだけ上げようと努力したところで、自分の収入は世界中に存在する”誰か”より遥かに劣っている。

小さなコミュニティ内で1番になってのぼせ上がっていた人間は、ネットの登場によって自分のアイデンティティをいとも簡単に打ち砕かれてしまう現実と対峙しなければならない世界になってる。

こんな世界で、無駄に劣等感を抱えすぎないように、自分らしく”在る”には、どうすればよいのか。

 

コンプレックスが解消されることは、死ぬまで無い。

 

コンプレックスは、世界の構造上、絶対に感じるように出来てる。

だから、それとどう向き合っていくか。どうすれば自分が満足できるのか模索していくことが大事だと思う。

 

他人との比較で感じるコンプレックス(劣等感)は、健全なものではない。

健全な劣等感とは、常に”過去の自分”との比較からやってくる。

 

________

 

 

・自分より優れた結果を出し続ける他者

・肉体的、技術的に自分より圧倒的な実力を持っている人間

 

ユーチューブなんかを見ていると、「あぁ、自分なんて大したことないんだな」とガックリくる。
どれだけ努力していようが、自分は世界のどこかに存在している”誰か”より劣っている。負けている。

 

僕の場合を例にあげると、自分だとまぁまぁイケてると思ってたギターの腕前なんて、世界の彼方に住んでいる女子高生にすら負ける。下手すりゃ10歳以下のギターキッズにだって劣っていることもある。世界は広いね。
他人との比較の中での「俺って結構イケてるじゃん!」っていう幻想は、いとも簡単に打ち砕かれる。「お前なんて別に大したことないんだよ?何調子に乗っちゃってんの?」みたいにw

 

この現実は、自分がどれだけ成長しようが変わらない。
ギターがどれだけ上手くなろうと、イラストがどれだけ上手に描けようとも、スペックの高い配偶者と結婚しようが、自分は絶対に誰かより劣っているし、圧倒的に負けている。

「勝ち負け、優劣」っていう価値観で物事を判断する癖がついていると、これからの世界を生きていく上では弊害になると思った。

 

自分より優れている人間は、この地球上に何億人もいる。

と同時に、自分より劣っている人間も、この地球上に何億人もいる。

これが事実。だとしたら、もう競争しようとしたり、誰かより優れていようと意地はってもがくのは、もう止めにしたっていいんじゃないのか?

 

在るがままの、本来の自分でいいんじゃないのか?

 

もう、理想の”誰か”に成ろうとしなくていいんじゃないのか?

 

___________

 

競争することに一体何の意味があるというのか?
”誰か(友人等)”より優れていることに、一体何の意味があるというのか?
「向上する」ということに、一体何の意味があるというのか?

答えは、”自己満足”にあることに気が付いた。

 

「自己満足」っていう言葉にネガティブな印象を抱いている人って多いと思うんだけど、僕はそうは思わない。

他人の評価、いいねの数みたいな、いわゆる「承認欲求」を追い求めるような生活になっちゃうと、自分の本来のライフスタイルを見失っていく。
評価欲しさに写真を撮ったり、物を買ったり、行動したり…自分が心から満足できているならそれはそれでいいと思うんだけど、行動の理由が「見栄、誰かに認められたい」って部分になっちゃうと、自分を見失う。

 

見栄はって、理想の自分のライフスタイルをインスタにアップしていいねを求めることなんかよりも、漬物と味噌汁と白米食って「あぁ〜日本食って最高だな」と自分の心を満たすことのほうが大事だと思ってる。タピオカミルクティは僕も大好きだけど。

 

「これやってても、実は心は全然満たされてないんだよなぁ」って薄々思っているなら、早々に切り上げたほうがよい。
そんなことに苦しむことよりも、「自分が満たされることって何なのだろうか」って方向に、ライフスタイルの基軸を持っていく。

 

_________

 

言葉は悪くなっちゃうけど、結局は他人なんて個人の都合や解釈で勝手にコッチを判断して評価してるだけの場合が多い。

例えば、175cmで80kgっていうと「クソデブじゃねぇかw」って嘲笑をくれる人間もいるし、「お腹出てないし、結構ガタイ良いですね!」って評価をくれる人もいる。

結局は評価なんて、相手の都合で様変わりしちゃう。

「あの人はこう言ってたけど、あの人はこう言ってた。誰を信じればいいのだろう」って迷ったら、自己満足感を得られる方向で物を考えるようにする。

他者の評価に振り回されずに、「自分の評価は自分で決める」ってくらいに開き直るのが吉。

 

 

まだ体脂肪もあるしもっとイケてる身体になりたいけど、今の自分の身体もソコソコ気に入ってるんだから、まぁいいじゃん…ってな感じに考えていく。自己満足したいからトレーニングするわけだし。

もちろん「いい身体してるね!」って言われたい気持ちもあるけど、それに振り回されずに、自己満足を追求するってことを忘れないようにしたい。

 

このブログ、SNSと連携してないし、広告も貼ってないから収入もないし、誰かに褒められるわけでもない。でも僕はこうして自分の考えをアウトプットするのが好きだからやってる。ある意味、公開的自慰行為。すみません。

 

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・他人より優れていなければならない。

・誰かに劣っていてはいけない。

・優秀な人間でなければいけない。

・収入が低い人間は悪。

・結果を出せてない人間は劣。

 

昨今、こういう価値観を持っている人間が増えてきているように思う。もちろん僕自身も含まれる。

きっとこういう価値観は、幼い頃受けた学校教育や、両親の固定観念からきているんだろうなぁ。

これを良い方向に持っていければいいんだけど、煽り運転で逮捕されたアノ人みたいにネジくれ曲がった方向に行っちゃうとマズい。

 

_______

 

他人の評価ありきの人生なんて捨てる。
そんなものよりも、他人に評価なんて一切されないし(むしろバカにされるまである)、得するわけでもないし、合理的だとも思えない。
でも私は、こういう考え方で、こういう家に住んで、こんな趣味に囲まれていれば、それだけでとりあえず幸せかも。

 

100点満点の幸せじゃなくてもいい。
40〜60点くらいの平凡な幸せでもいいじゃないか。
とりあえず赤点とらないくらいの人生だったら、結構イケてるんじゃないの?

ネットの普及でコンプレックスを強く感じちゃっている人は、自分のライフスタイルから「勝敗、優劣」を無くしていくように心がけるといいんじゃないかと考察した。

 

 



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