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他者から評価されることを前提に物事に取り組むのは正解なのか?

人は何かを決定したり判断したりするときに、どの方向へ意識が向いているのか。
例えば僕で言うと、ギターを弾こうと思ったときに、ただ単に楽しむために演奏しようとするのか、それともオリジナル曲を作って多くの人に認められることを望もうとするのか。音楽をやるときにはこの2つに意識が向いている。

 

自己満足の方向へ意識を持っていくのか。
それとも、他者から認められたい欲求を満たすために、その行動を選択するのか。

物を選ぶ(判断する)ときって、大きくわけてこの2つにわけられているんじゃないかと考察してる。

 

僕はもうオリジナル曲を作る気が失せちゃってるけど、ギターを演奏するのは今だに好き。
プロのミュージシャン目指して奮闘していたときは「地位、成功、金、女、人気」みたいな部分に意識がいっていたけど、そういう欲望を満たすために音楽(ギター)を利用するのはちょっと違うんじゃないかな、と。

 

完全に無名だし、世界基準で見たら腕前も大したことないけど、それでも自分の心が満たされるのであれば別にやったっていいじゃん。
「こんなのやってもしょうがないもんなぁ」と、自分が出世(成功)することを基準に行動を選択していると、世の中をシニカルに見る癖がついて、人生がつまらなくなっちゃう。

 

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またギターの話になっちゃうけど、ギターを始める目的で多くみられるのは「モテたい」ってやつね。
この”モテたい”ってやつも、結局のところ承認欲求みたいなものだったりするわけで、果たしてそれって本当に自分の心の欲求と噛み合っているのか疑問に感じたりしている。

 

ーー「モテたい」っていう自分の欲求とは噛み合っているんだからいいんじゃないの?
その欲求が時とともに変化して、いつの間にかギターを弾くことが自分の心を満たすようになっていった(スラムダンクみたいな)ーー

こういうことだってあるしなぁ…。
人の心は季節とともに移ろいゆくものねぇ。

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「一時の感情に身をまかせるのはよくない」なんてことを大人たちは頻繁に口にするけど、それはビジネスシーンでしか当てはならないんじゃないか。
一時の感情で始めた物事が、次第に「自分のため」に変化することだってある。
何事も、何でもかんでも理屈をこねくりまわして、論理的に、合理的に解釈して解決すりゃいいってもんじゃない。

 

とりあえず楽しそうだな〜と思ったものは、一時の感情でも何でもいいからやってみる。
頭で想像して「まぁこんな感じなんだろうな。やっても意味ないかな」と、全てに意味を見出そうとしなくてもよい。

 

エンジョイするのに意味なんて必要ない。意味なんていらないし、理由も必要ない。興味持ったらやれ。楽しかったら深く考えずに楽しめ。これくらいシンプルに生きたほうがいいんじゃないか。
何事も合理的に考えてると、マジでろくなことにならん。

 

自分の人生を好転させていくなら、「やらなきゃいけないこと、他人に褒められるためにやっている行動」みたいなものを捨て去る作業から始めなきゃならんのかもね。
その行動をするにあたって、承認欲求は満たされるけど、自分の心が消耗していくっていうのであれば、すぐさま止めたほうがよい。

他人にバカにされようが、除け者にされようが、まずは自分の心を満たす行動を見つけることがベストなのではないか。

 



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