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コラム:「自分は特別な人間である」という錯覚から抜け出す。

 

いつから「自分は特別な人間である」と錯覚していた?

 

僕は幼い頃から仮面ライダーやウルトラマン等のヒーロー物が好きで、そういう類の番組を頻繁に見ていた。
最も古い記憶が幼稚園低学年生の頃になるのだが、その頃からそういった番組を好んで見ていた気がする。普通の男の子ならごく当たり前に経験することだ。

 

そして小学生になると漫画やテレビドラマやゲーム、バラエティ番組を貪るように観覧するようになっていき、そういうものを見ては「いつか自分も立派な人間になって、多くの人に認められたい」というような希望を胸に秘めて生活をしていた。

 

しかし、歳を重ねれば重ねていくほど、周りの人間との格差が表立ってくることに気付き始める。
身長や体重、顔の造形、筋肉量、性格、家柄、知能指数、先天的な学力…。
自分より優れている人間、世間に表彰されるような人間と、平凡な自分との格差が際立っていくことに焦りを感じるようになると、思考・意識は現実の世界から、非現実的な世界へと逃避するようになっていく。
まるで、本来正しい方向へ進む電車が、とある分岐地点でよからぬ方向に間違って進んでいくかのように。

 

_______

 

その「分岐地点」で、電車をあらぬ方向へ進ませてしまう原因となっているのが、「メディア(外部的要素)」なのではないかと、僕は思い始めている。
漫画やゲーム、テレビドラマ、アニメ、ニュース等々、自分の脳(思考)の造形を行なっているのは、僕らが普段から何気無く接している外部的な要因であることが強いような気がする。

 

とある本を読んだ。
その本によると、「脳はそういった外部の作られた情報と、自分の思考・気持ちを区別する機能を保持していない」的なことが書いてあった。
この一説は僕が勝手に要約したものだが、自分の私生活を客観的に観察してみると、なるほど確かにこの説は一理ありそうだ、と思えるような現象が現実世界で起きていることに気づく。

 

アクション映画を見た後や、感動するドラマを見た後。
度胸ある出演者が奮闘するドラマを見た後や、ファンタジー系の漫画やアニメを見た後。
競争心を煽るようなゲームや漫画に触れた後…等々。

こういったものに触れた後の自分の感情や感覚をモニタリングしてみると、確かに思考が普段の自分から変化していることに気づく。

 

「力を与えられた」
「勇気をもらった」
「感動した」
「イライラした」

こういう感情が引き起こされるのは、自分の脳が、作品内の登場人物とリンクしてしまい(いわゆる”感情移入”)、自分の脳とドラマの主役の気持ちと区別がつかなくなっているからなのではないか。

ドラマや漫画、ゲームをすることで生まれてくる”感情移入”は、脳の構造上避けることはできない。そして、そういった心理を利用することで利益を得ようとする人間がいる。それがゲーム会社であったり、漫画業界であったり、映画・映像業界だったりするんじゃなかろうか。

こう考えていくと、僕たち一般人は相当な量の情報(固定観念)を幼い頃から植え付けられていることになる。果たして、そういう情報をクリーンアップして、「自分自身の、真の思考」にたどり着くことは可能なのだろうか?

 

僕たち人間は結局のところ、外部の人間に洗脳されて生きているだけなのではないか?

 

 

「私は現実と作り物はキッパリわけて考えられるから平気だよ」

こんな声を頻繁に耳にする。
しかし、果たして本当に、他者によって作り出された”ドラマ”は、自分の脳にとって無害なのだろうか?

 

________

 

もし自分の脳から、他者の作り出した作品の影響を排除したら、本当は自分はどういう人間なのか?

 

僕はついこの間まで「いつか自分も成功してやる!」などと野心丸出しで生きていた。
今思うと恥ずかしい限りだが、そういう思考はテレビドラマや漫画、アニメの影響から来ている「才能開花系の妄想」であることに気がついた。

 

「自分は特別な人間である」という幻想は、現実的な思考ではない。
外部の人間によって作り出された、ある種の洗脳みたいなものからきた幻想なのではないか。

もしそれが、誰かの手によって意図的に行われているとしたら?
何か裏の組織的な、世界を牛耳っている人物によって、僕たち一般人の脳(思考)をコントロールしようとしているのだとしたら?

 

…ちょっとオカルトすぎる話になってくるので控えようと思う(笑)

 

__________

 

 

しかし、現実社会でちょっと奇抜な発言や行動をする人、問題行動を起こすような行動をする人物、「コイツめんどくせー人間だな」と感じさせられる人間を観察してみると、あることが共通していることに気づく(僕の個人的な偏見が含まれているので、これを読んで気分を害された場合は申し訳ない)。

 

・フリーランスで活動している人(自由で在りたい。束縛されたくない)。
・自営業の取締役的なポジションにいる人物。
・中小企業、または大企業の社長
・二次元系の文化に傾向している人(ゲーム、アニメ、漫画等)。

 

こういった人たちに共通していると感じられることは、以下のようなこと。

 

「自分は特別な人間である」
「自分は他人の下で働くような人間などではない」
「自分は才能がある(それを信じて出世する)」

…まぁこれは僕自身も含まれていたのだが^v^;

 

自慢ではないが、僕の叔父はそこそこの会社の取締役だ。また、亡くなった祖父も大企業の取締役だった。
この他にもフリーランスで活動している人や、小会社の取締役…みたいな人と触れ合う機会も多い。

しかし、こういった人たちは少々気難しい人格をしている場合が多く、申し訳ないが、長い時間一緒に過ごしたいと思えるような人物ではなかった。だってすぐ怒るしピリピリしてるし、見栄っ張りでめんどくさいんだもんw

 

—妄想を信じ、自分の才能を信じて結果を出し、社会的ポジションと収入を得ることに成功する。
しかし人格が災いし、家族には見放されるような人間になる—

 

これは僕の祖父のことだが、祖父の生き様を見ていて感じることがあった。
それは、「自分は特別な人間である」という幻想を信じ切って成果を出したとしても、それはまやかしであることに気づけないのであれば、周りにいる人を不幸にしてしまう危険性がある、ということだ。

 

現実と非現実的なことを区別できるほど、脳は器用に作られていないんじゃなかろうか。

テレビ等のメディアが出現してから何年になるだろうか?50年?100年?
100年で人間の世代って何代入れ替わる?1代や2代そこらだよね。

詳しくはわからないけれど、「脳みそってそんな短期間で超絶な進化をするのか?」と考えてみると…って実はまだまだアナログなシステムなんじゃないかと思えてしまう。

 

そりゃ外部の情報と自分の思考を区別できないのは当たり前か…とも考えられる。
現代を生きる僕たちの”脳”について、ついつい「俺たちは最新の脳(思考)をしているんだぜ」と解釈してしまいがち。
でも実は、数百年くらい前から大してアップデートされていないのではないか…と考えてみると、ちょっと頭がモヤモヤしてくる。

 

今を生きる僕たち現代人の脳と、江戸時代の人々の脳は大して進化していない。
そう考えてみると何だか不思議。僕たち現代人は何ら特別でもないし、最新でもなかったりして。

メディア、漫画、ネット、動画、ゲーム、ドラマ…。こういうものに触れすぎると、脳がパニックを起こして「自分は特別な人間である」という幻想に苛まされるてしまう危険性があるんじゃなかろうか。
娯楽を楽しむのは用法用量を守って楽しくいきたいですね^v^

 

 

 

参考文献

 

 

 

 



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