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【コラム】個性を叩く世界が生命を殺す。ネットはビジネス。レビューが判断力を失う。

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何でもかんでもすぐに病気認定する風潮

 

僕は結構情緒不安定気味というか、よく言えば「感受性豊か、感情豊か」と呼ばれるタイプの人間です。
元々がそれを武器にしていた役者だったということもありますが、昨今は僕のようなタイプの人間は中々生き辛い思いをしています。

ひと昔前だと「感情豊かで個性的な人」っていう扱いだったのが、「発達障害、情緒不安定」みたいな扱いになっている昨今。何だかとっても息苦しいのです。
その理由としては、多分「他者と違う人間、ノーマルでない人間、目立つ人間」を叩きまくる風潮が影響していると思います。

 

感情表現が豊かで、表情が豊か、思ったことを率直に口に出すタイプの人間のことを「発達障害」だとか「病気」認定したがる風潮。

1つでも平均点以下の項目があると、揚げ足をとるかのように弱点をとにかく叩き、その他の良い部分がまるで全て無かったかのように扱う。
とにかく粗探し、揚げ足取り、弱点を叩く。こういう人が(特にネット上に)多い。そして自分がそういう人間に染まってしまっていることに気がつくようになりました。
僕が住んでいる環境のせいもあるかもしれませんが、今の時代はこんな”キツい系”の人々が多いように感じています。

 

俺たちはロボットでもないし、無個性で均一的な生物でもないし、無感情な生き物なんかじゃない。

 

世界は何を作ろうとしているんだ?どんな人間を作り上げようとしているんだ?
何だか裏社会の人間たちが僕たち一般人を洗脳してコントロールして、バカで無個性な生物に仕立て上げようとしているんじゃないか…っていう錯覚さえ覚えてしまう。オカルトチックな話になっちゃうけど(笑)

 

_______

 

「昔はそこまで批判したり傷つける言葉が飛び交う世の中じゃなかったと思うんだけどなぁ」といつも思っているんですが、もしかしたら僕自身が無駄に繊細になって、無駄に常識人ぶるようになって、無駄に優等生を演じてしまっているからかもしれません。

「もっと正しく、もっと正当な評価を、できる限り正しい子育てを、できる限り立派な人間で在ろう」

こういうことを意識しながら日々を過ごしているわけなのですが(子供はいないけど)、自分自身が他者の行動に対して過剰に厳しい目を向けているような意識が、日に日に強くなっていっている気がするのです。そしてそれは自分自身に向けてでもあります。なぜなのだろうか?

たぶん、というかそれは間違いなく「ネット社会」の影響だと思う。

・人の良い点を見ない。

・商品の良い点を見ない。

物事の肯定的な側面、長所を見られない人が多い気がする。

 

5段階評価の成績表(僕の学校ではそうでした)で、1科目以外は5評価だとしても、評価の低いたった1つの科目を徹底的に叩く。「まぁ苦手なんだったらしょうがないよね。次は頑張ろう」ではなく「死んでも直せ。すぐに修正しろ。そんな成績はありえない。もう次はないぞ」みたいに脅されるイメージ。

そう、脅すんですよね。できない人がいたり、ちょっとでも人と違う個性的な人が居たら、ネットの世界の人たちって脅す。脅して、相手をコントロールしようとしたりする。なんか昨今のネットの世界ってすげー怖い。だから僕はもうツイッターとかは無理。とてもじゃないけど怖すぎて無理w

 

病院のネット診断とかもそういう雰囲気があると感じています。
脅してビビらせて、少しでも病気っぽい項目があるとすぐに病気認定して、病院に来させて金を搾取する。

 

「気分が落ち込む期間が長いのは、うつ病の前兆です!手遅れになる前にすぐに病院に行きましょう!」

いやいやいやいや!ちょっと待ってよw人って失恋とかしたときにすげー落ち込むじゃん!親族が亡くなったときだってすげー落ち込むじゃん!会社の上司にガミガミ言われたときだってすげーヘコむじゃん!その反応って普通の人間によくあることだから!

なんでもかんでも病気認定しようとしたがる社会は少しおかしい。金儲け主義に走り過ぎている。これは本当に異常だと思うし、とても怖い世界になっていると思う。

 

なんだかネットの世界ってこういうビジネス的な側面が強くて最近はウンザリしています。何でもかんでも金稼ぎに繋げるなよ!(…って、アフィリエイトやってる僕が言っても説得力ないですよね、すみません)

頭の中と心、性格が合理的になればなるほど心に余裕がなくなり(遊び、ユーモアがなくなり)、一切の無駄を省き、一切の失敗を許さず、一切の許しを与えない。
例えば、昔はゲームでクソみたいな出来のものでも「これクソゲーだなw」なんて風に遊べたが、今はすぐに「直せ、修正しろ」みたいな世界。
「作ってもらって遊ばせてもらっている側」が、「遊んでやってるんだ側」みたいに、立場が逆転しちゃっているのかな。

 

本来、僕たち一般人って、別にそんなに偉い生き物でもないんですよね。特別でもないし、すごい能力があるわけでもない。なんでこんなに「偉い側、凄い側」に立とうとしているのだろう。

なんでも不満があるとすぐにクレーム出したり、評価するのも粗探ししたりしちゃうけど、何かを与えてくれているアチラ側に対して、もうちょっと感謝の心を持ちたいよな〜と思っています。中々難しいんだけどね。

 

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アマゾンレビューを気にして商品を購入するかどうかを判断したり、SNSで評価があるか無いかで自身の行動を評価したりする。
こういう行動が積み重なっていけばいくほど、どんどん自分の判断を信用しなくなっていく。だってそりゃあ、自分の判断で何かを決めるっていう習慣が薄れていくのだから当たり前ですよね。

僕はアマゾンで何か買うときも商品レビューは必ず見ているのですが、本当は自分が「コレは良い奴でしょ」と目星をつけた商品なのにも関わらず、評価が低いと即却下したりする。「あぁ、この商品はダメなんだ。じゃあ他を探そう」みたいに。
こんな風に僕たち現代人は、自分自身の目で物事を観察して、自分の意思で物事を判断したり、物事を決定したりする力が、進化していくテクノロジーによって奪われていくんじゃないか、と危惧しています。

 



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