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高級タックルを揃えても虚無感。自分を喜ばせる釣りをしないと飽きる。

 

 

【たくさんのお金をつかって実感したこと】

 

釣りって本当にお金がかかる。
ハマればハマるほど泥沼になっていく。

少し知識と経験を身につけてくると、「もっと上手になりたい!」という欲求が出てくるけど、これに振り回され続けていた。
浅はかな僕は、「プロと同じタックルを使えば、彼らのように上達することができる(結果を出せる)」と思いこんでいたけれども、そんなことは、まぁ無いわけですよ。
当たり前のことなんだけども、世間の声とか情報に振り回されているうちは気がつかない。

 

ワールドシャウラ、ロードランナー、エバーグリーン、メガバス、スティーズ…本当にたくさんのタックルを買ったけれど、それらの道具が教えてくれたことは「結局はブランドとか値段とかはどうでもよくて、自分が満足できる道具を使って遊ぶのが一番幸せになれますよ」ということだった。

高価なタックルが「釣りの上達」に直結しているわけではない、というのは当たり前のことなんだけども、なんだか虚しい^v^;

 

「どんな安いギターでも、エディ(ヴァンヘイレン)が弾けばエディの音になるのさ」と、ガンズのスラッシュがインタビューで語っていたが、まさにソレだ。

上手い釣り人はどんな道具を使っても上手いが、下手な釣り人は高級タックルで外装だけ見栄を張っても下手なままである。

うわー…こうして書くと自分でもヘコむ〜…。まぁ釣りは趣味なので、好きな道具を使えばいいんじゃないの…ということで済んでしまうかもしれないけど、僕的にはそれだけでは済ませたくない。済ませられない。

 

 

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どんな高級品でもそうだけど、所有してからしばらくは所有感とか優越感、満足感で脳が満足する。
けれども人間って動物はどんなことにも慣れてしまうわけで、こういった表面的な要素はいつか飽きがくる。

ワールドシャウラを始め、高級タックルを買ってからの1週間は所有感に満たされた。
そして、実際にしばらく使ってみると「面白くないロッドだな」などと不満を抱くようになる。

で、「いやいや、高いロッドだし、もっと大切に使っていこう。最高のスペックだし、不満はそんなにない」と、自分に言い聞かせ、自分の本音を騙しながら釣りをする。
自分を騙しながら釣りをするわけだから、どんどんつまらなくなっていって飽きてしまう。「なんか最近、つまんねーな」といった具合に。

 

そして「好きでもない道具を使っているからつまらないんだ!」と、また昔使っていたロッドを引っ張り出してくる。少し満足。でも、なんか心のどこかに虚しさがある。

なぜだろうか?

道具には満足しているし、釣果だってある。
でも、心の片隅にあるこの虚しさは何なのか?

こういったことを日々考え続けていたら、いくつかわかったことがあった。

 

________

 

釣りをつまらなくしているのは道具ではなく、自分の本心を見て見ぬふりをし続けたから。
「本当は○○のロッドを使って楽しく釣りをしたい。本当はもっと自由に楽しく釣りをしたいだけだ」みたいな本音が、心のどこかに眠ってたのだ。こういった深層心理の部分まで探っていかない限り、釣り具業界のビジネスの罠にひっかかって、延々とタックル選びの泥沼にハマっていってしまう。

 

こういった現象は、僕がハーレーを12年ローンで買ったときの流れと完全に一致する。

冷静さに欠けた一時の衝動と、他者に張り合うための見栄
羨望の眼差しを浴びたいという承認欲求に振り回されてしまい、我を見失う。

このようなことを、僕はこれまでに何度も繰り返してきた。いい加減にそろそろ学習しなきゃなぁと我ながらうんざりしてしまう。

 

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道具とか車とかバイクとか、お金とか評価とか、そういう外的な物質的なものが自分を幸せにしてくれると思うのは、ただの幻想でしかない。大切なことだからもう一度書いておく。

 

「物質的なもので自分を満たすことが、必ずしも自分の幸せにに直結するわけではない」

 

どんな道具を使おうが、大量の金を所有していようが、虚しさを感じる人は感じるし、貧乏で毎食に困る人でも、心が裕福な人だっている。少なくとも僕の友人にもそういう人が存在している。金をたくさん稼いでいる社会人よりも、貧困だがフリーランスで好きなことを楽しみながら働いている人のほうが幸せそうだったり。

 

タックルを完璧に揃えるのは一旦置いておいて、まずは「自分は釣りを、どう楽しみたいのか?自分にとって釣りとは何か?」という根っこの部分を掘り下げていってみるのがいいと思う。いわゆる「どう在りたいか?」を根付けよう、というわけである。

 

「どうなりたいか?」ではなく、「どう在りたいか?」だ。

 

僕の場合は…釣りに関して言うと、

 

・釣りは遊び(趣味)。仕事や義務で行うものではない。

・釣り道具はおもちゃ。可愛いタックル達で遊びたい、という欲求を満たしたい。

・ときには好きなプロの真似をして、いわゆる「ごっこ遊び」をやる。そしてときにはマジに釣りをする。

・ストイックに行うのではなくて、息抜き・遊びをしたいから釣りをする。

等々、もう完全に「上達すること」みたいな向上心は放棄しているけれども、なぜか逆に結果としては上達してきている…ような気がする。そりゃそうだよね、ストイックに嫌なことを頑張ってこなすよりも、楽しく遊びながらやったほうが集中できるし長続きするもん。

 

「やりたくないことを嫌々やっていても続かない。
でも、好きなことだったり、興味のあることだったらずーっとやれる」

 

僕たち大人は幼い頃には一瞬一瞬に夢中になれた。けれども大人になるにつれて”我慢”することを覚えてしまった。それが、自由に遊びを楽しむ心を失わせているように思う。「昔のほうが、何か楽しかったよね」と呟く大人が多いけれども、こういった心を見失ってしまっているだけなのではないかな、と思う。

 

なので、「なんだか最近つまんねーな」と感じ始めたら、要注意。それは自分の心の声を蔑ろにしてしまっている危険信号。
自分の本音と語り合う時間を作ったほうが心身共に健康的なバス釣りを楽しめるんじゃないか、と最近は考えている。

 

 

 



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